投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


私も聴きました

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 5月 3日(水)08時47分14秒
編集済
  少国民様

お久しぶりです。ここにはあまり来ませんが、今日久しぶりに来てご投稿を拝読しました。
私も4月19日に「海道東征」を聴きました。私は一昨年11月20日に大阪で聴いて(一昨年11月22日に軍歌掲示板に投稿)以来2回目ですが、感動を新たにしました。
大編成の一流オーケストラと一流ソリストによる演奏は、昨年も大阪で行われており、今回東京で3回目となり、この傑作はかなり世に知られるようになったと思います。
合唱団も多分100人以上で迫力満点、また大人の合唱団と子供の合唱団が共演する曲目はあまりないのではないかと思います。いろいろな観点から、私は「海道東征」は日本の音楽の最高傑作と思います。

最後に演奏された「海ゆかば」も感動的でした。この曲は吹奏楽では演奏されますが、弦も入った大編成のオーケストラで演奏されることはまずありません。今後もこのような形で演奏されるのを期待しています。

奥様をなくされ、また腰を痛めておられるとの由、娘さんの送り迎えで聴くことができて本当に、良かったと思います。ご健勝を祈ります。
 

海道東征

 投稿者:少国民  投稿日:2017年 4月23日(日)16時27分38秒
  ヒノマルさま、
ご無沙汰致しております。いつもながらお元気で研究熱心なご様子の文に、懐かしく頭の下がる思いで拝読致しております。
先日の「軍歌掲示板」に大変懐かしい多くの皆様方のHNが書かれて居り、拝読しながら当時を
思い出しております。 そこで、近況を少し書いてみます・・・

 今月19日 池袋の東京芸術劇場に「街道東征」を聴きに行きました。腰を痛めておりその
上、妻が一月に亡くなってしまい一人暮らし・・これを心配して娘が”送り迎えや食事つき”で
連れて行ってくれたのです。
 久しぶりの”オーケストラ曲と合唱”に興奮し、心は「皇紀2600年」にタイムスリップし
ました。「大八洲「秋瑞穂の国」「皇国」「豊葦原」「大御稜威」等々今では耳にすることの無い(変換も難しい)懐かしい言葉が数多く出て来る合唱曲でした。
 特に最後の「海行かば」はオーケストラの演奏に合唱団が心を込めて歌い、私たち聴衆も声を上げて歌い、終わってからもしばらくは拍手が鳴りやまない状態でした。

中々「軍歌を歌い継ぐ会」には参加出来ませんが、気持ちだけは末席会員の積りで居ります。
ヒノマルさま、はじめ松木会長さま、野口さま皆さま今後とも何卒よろしく。
 

平成二十九年の紀元節を迎えて

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月11日(土)07時57分39秒
  今日は紀元節です。日本が生まれた日です。毎年この日が巡ってくると、この國の来し方行く末を思い、暗澹たる思いにかられます。

昨年5月オバマ大統領が広島を訪れました。原爆投下に対する謝罪はしませんでしたが、原爆犠牲者に哀悼の意を表明しました。12月には安倍総理大臣がハワイの真珠湾を訪れ、日本の真珠湾攻撃による戦死者に、やはり謝罪はせずに哀悼の意を表明しました。
この両首脳による相互訪問は日米双方でおおむね好評でした。日米双方に戦後70年以上たってもまだ残っていたわだかまりが解消されたかのような雰囲気が、多くの報道、論評などによって醸成されました。しかしこれでめでたしめでたしとしてよいのでしょうか。私は疑問に思います。

真珠湾攻撃は事前通告する前に開始され、ワシントンで通告がなされた時には戦闘はすでに終わっていました。これは日本の重大な過誤です。アメリカが怒って「リメンバーパールハーバー」と叫んだのも理解できます。しかしそうではあっても、これは軍事施設に対する攻撃でした。戦死者は2,400人くらいでした。
一方広島長崎に対する原爆投下は非戦闘員一般市民を目標とする攻撃で、投下時点だけで両市合わせて約20万人(その後原爆症などで亡くなった人を加えれば多分その2倍くらい)を虐殺した行為です。到底同列に論じられるものではありません。この二つの戦争行為は到底相殺できるものではありません。私は日本もアメリカもわだかまりを持ち続けるのが自然と思います。かって争った者同士が争いが終わった後和解するのは良いことです。然しその際大事なのは原理原則を曲げないということです。一般市民を目標にした大量虐殺行為は重大な国際法違反であるだけでなく、戦後アメリカが作って東京裁判に適用した「人道に対する罪」でもあり、絶対に許すことのできない行為です。これが日本の原理原則です。一方真珠湾攻撃は事前通告なしの「sneak attack」であり絶対に許すことのできない戦争行為である、というのがアメリカの原理原則でしょう。それで良いではありませんか。
双方ともそれぞれの原理原則を曲げる必要はありません。そのまま持ち続ければよいのです。持ち続けたからといって、両国関係になんの問題も起こりません。

昨年来安倍総理大臣はロシアと北方領土で共同経済開発を計画推進しています。この共同経済開発をロシアとの平和条約につなげるとのことです。日本にとってロシアとの平和条約締結の目的は北方4島の全面返還であり、それ以外にはありえません。北方領土で共同経済開発をやればロシアは4島返還に応ずるのでしょうか、それはまず絶対にないでしょう。4島全面返還は日本の絶対に曲げてはならない原理原則です。この原理原則を曲げてまでロシアと和解するべきではありません。4島を返さない限りロシアは日本の敵です。永久に敵として扱うべきです。だからといってロシアと戦争になるわけではありません。

一昨年12月日本と韓国は慰安婦に関して合意し、日本は韓国に10億円を支払い、韓国はソウルの日本大使館前に建てられた慰安婦像を(合意の表現はともかくとして)撤去することとしました。日本は昨年合意を守って10億円を韓国に支払いましたが、韓国は日本大使館前の像を撤去するどころか、さらに釜山の日本領事館前にも慰安婦像を建てました。立てたのは民間団体ですが、まずウィーン条約違反であり、また韓国の国内法(道路法など)にも違反するこの設置物を撤去するのは韓国政府の責任です。然し韓国政府は合意を履行しようとはしません。
これも日本が原理原則を曲げて和解しようとした結果です。そもそも慰安婦はいても「慰安婦問題」などというものは存在しないのです。「慰安婦問題」なるものは韓国がでっち上げたものです。これが日本の原理原則です。(ただしこれについては朝日新聞に重大な責任がありますが)日本は初めから、そのような問題はない、と原理原則を貫くべきところを、目先の摩擦を恐れて原理原則を曲げた結果、このような事態に至ってしまったのです。

戦後日本は東京裁判史観、自虐史観にとらわれ、和解を過剰に優先するあまり、主張すべきを主張せず、史実に反する相手の言い分に積極的に反論しませんでした。今国際社会では、韓国(一部中国も加わり)の執拗狡猾な宣伝戦により、日本は戦時中韓国中国などのアジア諸国から20万人もの女性を連行し性奴隷にした、というとんでもない大嘘が定着してしまいました。目先の摩擦を回避するためにとった外交が、日本人に未来永劫ふりかかる禍を定着させてしまったのです。和解は良いことです。しかし原理原則は、この先百年千年のために、絶対曲げてはなりません。

 

練馬の暇人様を偲ぶ

 投稿者:ヒノマルメール  投稿日:2016年11月 4日(金)08時01分34秒
  御他界されし練馬の暇人様を偲ぶ
練馬の暇人様は、小学校入学の頃から吾が国大日本帝国は大東亜戦争に突入させられて学童疎開などを経験されたはずで、愛国心の強い方であったと思われます。おそらく
終戦記念日には戦没者追悼中央国民集会の靖国神社の集いによく参加されておられ、愛国の想いを強烈に持たれる私たちの戦友でした。この靖国神社での中央国民集会は今年で第30回となるそうですが、5~6年前のこの靖国での国民集会に私が立ち見で参加した折、練馬の暇人様と故榛名さんの御二人が,天幕下のいす席に着席しておられ、挨拶を交わしたことがあり、懐かしい想い出の一つです。
「軍歌を歌い継ぐ会」の重鎮でもあった練馬の暇人様は、私ヒノマルにとって晩年で数少ない人生の戦友でもあってくれた尾澤さんでした。尾澤さんには奥様の郷里とのことで、長崎の事情に御詳しかったようで、私が長崎に二度行った折には、あらかじめ非常にユニークな「小国民資料館」と“経営者、館主の高浪さんと云う詩人”を詳しく紹介してくれて、そのお蔭で一層素晴らしい長崎逗留になりました。歴史に彩られた長崎の街々は、いささか遠いけれど、大好きになり機会あれば、再訪か、暫時住んでみたい「好きな都市」の一つになった次第で、これも尾澤さんのお蔭でした。小国民資料館は山側にあり大いに気に入って二度三度と訪ねましたが、館の主人の高浪さんは、優れた詩人・画家でした。類は類を呼ぶとか、練馬の暇人さんも、詩人的な資質を持っておられたように感じます。
私の家の東隣りは、防衛省共済組合管理のスポーツセンターでフェンスを隔てて、テニスコートが四面あり、一階の居間からもテニス楽しむ人影をチラチラよく見ますが、二階のベランダからは、殆ど全景が目前眼下一望の内なので、折々にプレイ中の姿を見るたび、テニスの好きな尾澤さんの事やお顔を思い出して来たものでした。軍歌掲示板にも書いた事ですが、黄泉(ヨミ)の世界も知り、七生報国のことばも口にする吾等日本人は、他界に移っても休むことなく活動するわけで、活動的な尾澤さんは他界で一休みの後は、またまた目覚めて 戦時歌謡等の運動に励まれるに違いないと想われます。
民族性はともかくですが、韓国・北朝鮮には、素晴らしい唄メロディがあり、ヒゴモッコスさんから習い知った「戦友よ安らかに眠れ」という名曲がありますが、又、かのマッカーサーは「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ・・」と訳の分からない一句を残していますが、日本民族は、他界しても戦死しても、決して眠らず、休まず、さらに国の為に他界にて、活動する、靖国のに祀られている英霊の各位が、正にその通りではありませんか。尾澤さんはあの世でも、眠らず休まず、日本国の為に活動を継続される事と信じています。私ごとで恐縮ながら私の尊敬する母かたの曾祖父は、農業の傍ら俳句をたしなみ一柳と号し、風流人でしたが、他界の前に「どべの世を捨てて楽しき蜻蛉(とんぼ)かな」と素晴らしい辞世の句を残しました、どべは泥の方言で、現世よりも、もっと自由に羽ばたいてゆこう、という気構えが示されていると、私は此の句が大変気に入っています。
尾澤さんは、かの世では、暫時、御睡眠、休憩の後は、再び元気いっぱいに戻られ、
ギンヤンマのように、お好きなテニスや軍歌戦時歌謡やに打ち込まれ 暫しも休まず
楽しく過ごされる事だろうと確信します。七生報国の正成のように・・・。
大切な戦友、好漢、尾澤政彦様、見えぬ世界ながら・・・、ご健闘を切に祈り、・・
        平成28年11月4日         狛江の  ヒノマル、より。
 

歳なのか

 投稿者:OB  投稿日:2016年 9月27日(火)17時28分22秒
  住んでいる地域が田舎なので、価値基準が強いか弱いかしかない。時代なのでしょうか?  

大和(だいわ)日本(にほん)激励(げきれい)の歌

 投稿者:ヒノマルメール  投稿日:2016年 9月 5日(月)14時07分9秒
  (早稲田大学校歌のメロディで)  大和(だいわ)日本(にほん)激励(げきれい)の歌. 替え歌で、
  紹介します。  (^o^)            作詞者  ヒノマルですが・・ (^o^)
 一アジアの東北、大和(やまと)の国に
聳ゆる富士が嶺(ね) われらが誇り
われらが日頃の 抱負(ほうふ)を知るや
大和(だいわ)の精神・世界の平和
現世を忘れぬ 久遠(くおん)の理想
輝くわれらが 行く手を見よや
             リフレイン → 『 ~ 』
『やまと日本、 やまと日本
      だいわ 日本(にほん) やまと』

二東西古今の、文化の潮(うしお)
 一つに渦(うず)まく 大島国(だいとうこく)の
 大なる使命を 担(にな)いて立てる
 我らが行く手は 窮(きわ)まり知らず
やがて久遠(くおん)の 理想のひかり
 あまねく天下に 輝き照らん
リフレイン

三あれ見よかしこの 常盤(ときわ)の森は
 心の故郷(ふるさと) みかどの皇居(こうきょ)
 集まり散じて 人は変われど
 仰ぐは同じき 大和(だいわ)の理想
 いざ声そろえて 空もとどろに
 われらが祖国(そこく)の 名をば讃(たた)えん
      リフレイン
 注意                      以上
大和の二字、精神と理想の二句に就く場合にのみ
ダイワ、と読み、その外は、「ヤマト」と読む。従って “大和日本”はヤマトニホン と歌う。
    リフレインは 力強く!!

 

中東・イスラム圏の人々が日本人を尊敬している理由

 投稿者:ヒノマルメール  投稿日:2016年 6月 1日(水)13時14分32秒
   海上自衛隊特別警備隊初代先任小隊長 伊藤祐(すけ)靖(やす)  の文章から抜粋ですが
    中東の人からその話を聞いた
 彼らが日本を尊敬する理由は、超大国ロシアに戦いを挑んだこと、
そして勝ったこと、超大国アメリカと戦争をして、四年間戦ったこと、そして、その後驚異的な復興を遂げ、周辺国ばかりでなく、発展途上国に多額の支援をしていること。更に、宗教的にも何ら衝突はなく、何より、ヨーロッパ アメリカの人々とは違い、妙な下心がなくて信頼できる、ということだった。だから、「中東のゴタゴタは、第一次世界大戦以来、積年の恨みがある白人が絡むと絶対に解決できないが、日本人が介入すればできるかも知れない」とも言っていた。
日本にしかできない国際貢献に対する義務、というものも強く感じた。そして、彼らが日本を語る時、一番時間をかけ、熱く語るのは、ロシア、アメリカという超大国に挑んだということだ。国家としてギャンブルをしたわけではない。無謀国家なわけでもない。ましてや好戦的過激国家でもない。彼らが日本を尊敬する核の部分は、日本が〝国家として消滅する〟ことを覚悟してまで、正しいと信じる道を貫こうとした点なのだ。それは、現在の日本にもっとも欠けているものだと思っている。・・・と。
 以上は、正論誌 2015年4月号  九六頁 より,でした。日本人、日本民族は本当に世界でも稀な 素晴らしい存在なのですね。
素晴らしい
 

第二の「知床旅情」の歌詞。& 唄と映画の解説

 投稿者:ヒノマルメール  投稿日:2016年 5月 9日(月)13時56分31秒
  狛江の歌のサークルで「歌声広場」で習って記録した かの有名な森繁久弥作曲
「知床旅情」のもう一つ別の『森繁久弥作詞の歌詞』と唄の背景編解説を転記します。
知床旅情 (昭和三十五年?不明) 森繁 久弥作詞作曲、第二?作?
一 オホーツクの海原(うなばら) ただ白く凍(い)て果て 命あるものを 暗い雪の下
春待つ心を ペチカに燃(も)やそう  あはれ東(ひんがし)に オーロラ悲し
二 最(さい)果(は)ての番屋(ばんや)に 命(いのち)の灯(ひ) ちらちら トドの鳴く夜は
いとし子がまぶたに
誰に語らん この淋しさを  ランプの火影(ほかげ)に 海鳴りばかり
※・・第四番まである原詩の前半の弐番だけがここにほとんど同じで,在りますが、
細かく見ると、ほんのわずか 違いがあります。
 以下、唄の背景への 解説 です。

  森繁久弥が四十七歳の時。「地の涯に生きるもの」という映画を知床半島の東側ラウス(羅臼)という町でロケをした時,森繁久弥が主人公、村田彦市役を演じた。彼は、村の人達にお世話になったお礼にと、ギター片手に当時の村長、谷内田(やちだ)さんの家を訪ねた。  その時、「皆で歌って覚えてほしい」と言って障子紙に詞(コトバ)を書き残した。これが現在歌われる「知床旅情」の詩である。それは、現在 巻紙にして 谷内田家の家宝になっているそうである。   ラウスを去る日、四百人~五百人という多くの方が見送りに着てラウスの唄この「知床旅情」を唄った。
  この映画は(1960)昭和三十五年久松静児が監督し、遠藤精一が撮影し制作されたものである。
      知床半島に猫だけを相手に一冬をすごす男の物語。
昭和三十五年の東宝映画「地の涯に生きるもの」は戸川幸夫著の小説「オホーツク老人」が原作。
 妻 村田かつ役には 草笛光子さん(当時二十六歳)が出演。オホーツクの海原、で始まる、
  森繁久弥作詞の 第二?「知床旅情」の詩は、伊東四朗著のエッセイ集「この顔で悪いか」[集英社]に記載されており、かつて森繁久弥が、この歌詞で伊東四朗に唄って聴かせたという。 恐らく知床での撮影当時の作であろう。    ~映画の内容~
厳寒の知床半島の冬、たった一人で漁師の番屋を守る老人・村田彦七 七十一歳。“留守番さん”と呼ばれネズミ払いのネコだけを話し相手に、彼は幾度もこれまでの人生を反芻する、、漁師として独立したあの日無理矢理づくでの結婚を経て3人の息子に恵まれた様々な思い出。ある夏、死んだ息子の恋人だったという都会の娘・冴子が彼のもとを訪れ、懐かしい話をしてくれた・・。
                                   以上です。
 

4月28日の意義を忘れた日本人

 投稿者:ヒノマルメール  投稿日:2016年 4月30日(土)12時25分6秒
   日本の国が占領されて主権を失っていた状態からようやく抜け出せた、という実に喜ばしい独立回復の日が4月28日すなわち一昨日であったはずです、小生は、この日、になるとヒノマルの国旗を玄関口に毎年、玄関の右端に竹竿を立てて、高く掲げだして、風に閃かせたものでしたが・・・かなり長い期間・・・(^o^) 気ののまわる人は29日と間違えているんじゃないか、とお載ってくれるかも と多少ふざけた気分もまじりつつ・・・、みんな 知らないんだろう・・てな気分も少しで・・・併し  何の反応もなく・・・・もう やめました。日本人が、全体的に、もっとまともになった暁には、この日は祝日に、又11月3日は文化の日なんてとぼけた名称でなく、本来の  明治の日、に改正制定され偉大な明治時代が心の中に蘇るでしょう。
日本人が忘れているものと事が実に沢山ありなすが、大切な日本の国を想うことに関連する二つ。それは、実は,重かつ大なる忘れ物と忘れ事、となります。
一つは。日本の国を愛し讃える愛国の名曲を コロリと忘れている、いや知らない事。重大な忘れ物=忘れ歌です。次の事柄は、日本の国が占領されて主権を失っていた状態からようやく抜け出せた、という実に喜ばしい独立回復の日が4月28日すなわち一昨日であったのです。なぜ大事な物事を忘れて気付かないのか?有識者や 管理人の方がよく書かれるように、答えは「足かけ八年にもわたる長い長い日本国占領期間に 米国のG H Qが徹底した思想弾圧をして マスコミと一般国民が 真実の歴史を知らぬようにと、東京裁判歴史観にと、人々をマスコミ人を巧みに導いたからです。 繰り返しですが、
   日本の国が占領されて主権を失っていた状態からようやく抜け出せた、という実に喜ばしい独立回復の日が4月28日でした。昨日の4月29日は昭和の日でした。今、産経新聞に連載中の
ドキュメント小説、“ふりさけにれば”は昭和天皇の実録が中心で、実に興味津々(しんしん)の佳境にはいって、終戦時の緊張の様子がよく描かれていますが、私は思うに、昭和天皇こそ日本史でで寝維持天皇よりもまさる大一番の名君種であったと、つくづく思われる次第です。少なくも明治天皇と同等で、並ぶ名君であった。と考えられます。明日はいよいよ5月1日小生の結婚60周年記念日です。(^o^)関係ないですね(^o^) 昭和天皇は、日本人は賢いから100年も経ったら元通りに立ち直れるでしょう、という側近の言葉に対して、「いや私は300年かかるだろう」と言われた、とどこかで読んだ記憶がかすかにありますが、日本国は 神様が守っている国であり、安部首相は 大局をようく にらんで、きっと早めに日本国の実相顕現に その方向に国民をに導いてくれると確信している次第です。 (^o^)(^o^)
 

日本人必読の価値ある百人一首の本が

 投稿者:ヒノマルメール  投稿日:2016年 3月16日(水)07時49分52秒
  お知らせします。
良い息子のおかげで、面白くてしかも為になる少し教養?ある日本人なら、必読の価値あり、と思われる本を知り、やっと通読を終わり、お知らせです。題はも少々長いが
「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」百人一首が特大の大きい字です。副題のように横に小さく、--千年の時を超えて 明かされる真実 --著者名 小名木善行ーー彩雲出版
 小生は、元高校の国語担当の教職に従事したことありですが、よく歴史を踏まえて解釈が非常に正しくて、目からうろこが落ち、教えられる所が事情に多く、脱帽・敬礼!!でした。
著者の前書きの次の目次の前には「国語問題協議会理事」のかたが、「百人一首」本来の姿ーー
と題、して、三ページ半にもわたって、この書のすばらしさ、について縷々のべておられ、580頁に及ぶ本文が終わり、筆者の終わりのことばの手前には、拓殖大学客員教授藤岡信勝の
“「百人一首」を救出する快著”と題して、何と5頁にわたって自分や小名木さんの孫娘の話から始まる愉快な面白いおハナシを続けた後に「偉大な啓蒙作家・小名木善行さんのお仕事の大きな意義を、私は、感謝の心をもって深くかみしめている。今大変なことがはじまりつつある予感がする。と結びの言葉を述べている。最後に、著者は「おわりに」と題し5頁にわたる文の中で「百人一首」を順番に紐解くと、にほんとは何か、日本人とは何か、日本精神とは何か、がはっきりとした形をもって理解できるようになります。」と述べている。恋の歌のように見えながら、実は・・
そうではなく・・という歴史的な事情が・・あった・・たとえば保元の乱などの背景・・が・・
と、「百人一首」は案外に面白いらしいと、見直した次第です。終わり。

 

/54